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毒入りブルーベリー

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若後家接吻荘

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音楽は「期待,,expectation,,」というものを扱う表現なんだと思う。 次に鳴らされる(鳴らされない)音への「期待」が、僕らを音楽というもののなかに引きずりこむ。音楽は常に未来へと向かって開かれいる。同じように、僕は矢野ミチルが行なうライブペンティングを、音楽として楽しむことができる。次に描かれる線、次に塗られる色、それが一体どんなものであるのか僕らは期待し、予想しながら、その結果描かれた(描かれなかった)「何か」を見つめることになる。しかし、音は、絵の具のように定着することはない。鳴ったそばから消えていく。強いていえば、記憶のなかにのみ定着される。絵画は、逆に、過ぎ去ったはずの過去の集積として「永遠に」残ってしまう。その違いを、僕らはどう感じればいいのだろうか? 矢野ミチルの作品は、過程の絵画なんだろうと思う。シュルレアリスムの自動筆記のように筆の走るままに筆を走らせることによって出来上がったこれらのイメージは、それが描かれている過程においてきっと最も躍動している。「期待」のなかで線や色が踊っている。とするならば、一旦完成してしまったイメージは、もしかするともはや未来を失った「死体」に過ぎないのかも知れない。僕らはこれらの絵を、スタティックな「図像」として見ることを拒むべきなのだろう。絶えず新しい躍動が生起するさまを僕らはこれらの絵のなかに幻視しなくてはならない。そうすることによってのみ、これらの絵は「現在」を生きることができるに違いない。
(文章:若林恵 wakabayashi kei)  

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by yanomichiru | 2007-02-28 11:16 | 新作/展覧会情報
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